2022/06/13

私達の営みは自然に対して無力である

札幌の街の中には、唐突に自然に近い環境がある。
例えば大通公園にはリスが住み、円山公園では花見客の食べるジンギスカンをキツネが狙っている。
三角山にはクマの姿が確認されて一時、ローカル放送局を賑わせた。
他にも各所に大型の公園が多数存在し、市電沿いだろうが、住宅街だろうが、野生動物たちがヒトの目を避けながらヒトの住処に踏み入る。

それは東京のビルの隙間に無理矢理作られた人工物の緑地とは違う、都市の中に現れる原生の名残だ。


先日職場の敷地内にカモが卵を抱え住み着いた。
報告に上がったものの、我々は見守る事しかできないので放っておいた。
いずれ卵が孵れば親子仲良く行進をして、近くの池か河川に引っ越すだろう。

しかし、人気が少なくなる土日を経て月曜日。
確認すると卵を温めていた母ガモの姿は無く、羽毛の様なものが散らばっていた。

敷地内では度々、キツネの姿が確認されていた。


住宅街でクマがヒトを襲ったのは、今から一年ほど前の事だ。
札幌駅を東京駅に置き換えたとき、目黒辺りに出没したクマは早朝のショッピングモールに来店し、航空基地を襲い、最後は猟友会に仕留められた。
当然のごとく、SNSでは動物の愛護を訴える意見が飛び交った。


さて、話はカモに戻る。
私はカモの雛が誕生するのを楽しみにしていたが、動物愛護の観点で言えばカモの為にキツネは仕留められない。
彼らは彼らの食物連鎖を貫いたに過ぎず、我々は到底無力である。

これがヒトの領域で無ければどうだったのか?
例えば件の三角山なら?
それとも、藻岩山から見える市街地の真逆なら?
やはり、運の悪いカモはキツネに食われるのだろう。

動物愛護とはとてつもない人間のエゴであると感じた。
ヒトの目の届く範囲だが、野生が野生を喰らうことを我々は止められない。
野生動物にとってはヒトが作る環境でさえ、自分たちの領域の一部なのではないか。
ヒトが自然を逸脱している、という考え方が、至極傲慢に思える。

そんな事を考えながら、今日も眠りにつく。

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