2022/06/25

後悔しない買い物を

一年近く節制していた反動で買い物欲が高まっている。

短期スパンで引っ越しをしたせいで色々捨ててしまったり、年齢や立場的に持ち物の転換期で今まで着用していた物をいい加減卒業する時期が来ているとも言い訳できるが、かと言ってしがないサラリーマンなので欲しい物を思うままに爆買いできるわけでもない。

納得のいく買い物しかできないのである。



SNSの広告でたまたま目にしてしまったボッテガ・ヴェネタのサンダルが欲しいと思ったのはまだ春先の事だった。

しかし、限定品だったのか勘違いだったのか、数週間でその商品の情報は出てこなくなってしまった。

もちろん結構なお値段の物なのでデパートにあったとしても腹をくくらなくてはならない。

現物を実際目すれば気が変わるかもしれないし、購入に踏み切るのかもしれないが、その時の私はデパートに行く時間的余裕も精神的余裕もなかった。

結論として私は似たような雰囲気の納得のいく物を探す事にした。



ボッテガ・ヴェネタのサンダルが欲しい理由はいくつかあった。

そもそも、夏にはサンダルを履きたい。次に、緑のアイテムが欲しい。

そして最重要なのが、去年購入したロングのニットカーディガンだ。

このカーディガンの丈が私の身長だと、ギリギリ地面につくかどうかの長さなのである。

少しヒールの高さがある靴を履けば丁度良くなるのだが、細いヒールだとニットの穴に引っ掛かって大変危険なので太めのヒールの靴しか履けないのだ。ヒールの高さは高いほどいい。

ボッテガ・ヴェネタのサンダルはそのすべてを叶えてくれそうな物だった。

だが前述の通り私はボッテガ・ヴェネタのサンダルは諦めた。これは似た代物を探す上での再考でしかない。

欲しいサンダルの条件をまとめたところで、スマートホンで限りなく近い条件のものを探す。最近のショップサイトはヒールの形状や高さまで選べるのでありがたい。

検索結果はなんとZARA一択、となってしまった。よし、ZARAへ行こう。











ZARAへ行こう。と思い立ったのはいいが、急な仕事だったり、腕時計が止まり修理に出したりと、結局のところ一か月引き延ばしてしまった。季節はサマーセールの時期へと突入する。

懸念はしていたが目をつけていた商品は売り切れていた。

しかし、ここで引き下がってしまうと、私はもう緑のサンダルを手に入れる事が出来なくなってしまうだろう。何せボッテガ・ヴェネタに近い緑のサンダルはZARAぐらいでしか取り扱っていない。

これはもう、緑のサンダルとヒールが太いサンダルの二足を買うしかない!

なにせZARAだ!玄関が埋まるくらい買ったってボッテガ・ヴェネタのサンダルには到底及ばない!

春先から溜め込んだ感情が爆発した私は、気に入った2点を選びレジへ向かった。


嬉しさのあまり、イラストまで描く始末だ。

2022/06/16

行者菜の収穫が盛んです

記憶力の良さには自信がある。
それでもパソコンやスマホのメモリほどの情報は入れておけないので、一昨日の晩ごはんなどは忘れながら生きている。
どうしても忘れてはいけない情報は自分の脳以外に記録して生きている。

そんな中で最近私の脳内メモリを余分に使っているのが様々なニュースの登場人物達、特に容疑者だ。

中には忘れてはいけない名前もあるだろうが、そういった人間は容疑者から被告、更には受刑者と呼称が変わり、度々マスメディアに取り上げられ語り継がれていくのだろう。

しかし今、私の頭の中を賑わせているのはそういった世紀の大犯罪者ではなく、1年後には忘れていくニュースの登場人物なのだ。


一つ気にかけ始めると深堀したくなる癖がある。
私は様々なニュースを見る度、何故その容疑者はそういった行動に出たのかを深く考えてしまう。
もしも被害者が居るのなら、どうすれば自分は被害者にならずに済むのか考えてしまう。
もしくは、私に加害者になる因子があるかを見直してしまう。

これがはっきり言って疲れるのだ。
決してどれも気持ちの良いニュースではないし、むしろ悪い。気が滅入る一方なのだ。

虐待にはしる親の裏の顔や、詐欺師の生活事情、教師同士の痴情の縺れなど、さしずめ今の私には関係のない事なのだから。


思えば最近は頭を使うことをしていない。
職場の都合で、あまり頭を使う仕事が多くは無いのが実情だ。
私が考え事をせずに活動している時間は、ランニング、料理、読書や勉学の時間、そして植物に水を与えている時間くらいだ。
こうして書き出すと、意外にプライベートは充実していそうである。
しかし、それでもニュースについて考えてしまうのは仕事中の脳が暇なのとメディアに踊らされているだけの様な気がしてしまう。

ならば解決策としては仕事に励む、ニュースを遮断する、が妥当だろう。


私の決意とは関係なく、今日は肉体労働の連続だった。
仕事中に暗いニュースについて考える必要も無く、帰宅と同時に疲労感でいっぱいである。
飲みながらとはいえ、この文章にかれこれ40分ほど費やしている。

そんな私の今日のアテは、先日地方局のニュースで見た『行者菜』という野菜の酢味噌和えだ。
美味しかったので今度は生産者が推めていたチヂミにして食べたい。

踊らされるなら、こういうニュースでいい。


2022/06/13

私達の営みは自然に対して無力である

札幌の街の中には、唐突に自然に近い環境がある。
例えば大通公園にはリスが住み、円山公園では花見客の食べるジンギスカンをキツネが狙っている。
三角山にはクマの姿が確認されて一時、ローカル放送局を賑わせた。
他にも各所に大型の公園が多数存在し、市電沿いだろうが、住宅街だろうが、野生動物たちがヒトの目を避けながらヒトの住処に踏み入る。

それは東京のビルの隙間に無理矢理作られた人工物の緑地とは違う、都市の中に現れる原生の名残だ。


先日職場の敷地内にカモが卵を抱え住み着いた。
報告に上がったものの、我々は見守る事しかできないので放っておいた。
いずれ卵が孵れば親子仲良く行進をして、近くの池か河川に引っ越すだろう。

しかし、人気が少なくなる土日を経て月曜日。
確認すると卵を温めていた母ガモの姿は無く、羽毛の様なものが散らばっていた。

敷地内では度々、キツネの姿が確認されていた。


住宅街でクマがヒトを襲ったのは、今から一年ほど前の事だ。
札幌駅を東京駅に置き換えたとき、目黒辺りに出没したクマは早朝のショッピングモールに来店し、航空基地を襲い、最後は猟友会に仕留められた。
当然のごとく、SNSでは動物の愛護を訴える意見が飛び交った。


さて、話はカモに戻る。
私はカモの雛が誕生するのを楽しみにしていたが、動物愛護の観点で言えばカモの為にキツネは仕留められない。
彼らは彼らの食物連鎖を貫いたに過ぎず、我々は到底無力である。

これがヒトの領域で無ければどうだったのか?
例えば件の三角山なら?
それとも、藻岩山から見える市街地の真逆なら?
やはり、運の悪いカモはキツネに食われるのだろう。

動物愛護とはとてつもない人間のエゴであると感じた。
ヒトの目の届く範囲だが、野生が野生を喰らうことを我々は止められない。
野生動物にとってはヒトが作る環境でさえ、自分たちの領域の一部なのではないか。
ヒトが自然を逸脱している、という考え方が、至極傲慢に思える。

そんな事を考えながら、今日も眠りにつく。